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理事長エッセイ

このコーナーでは、健康について・病気について、さらには人生について、私理事長の捉え方や考え方を載せていきます。様々なことでお悩みの方にこれを読んで少しでも元気になったり、前向きになったりしてもらえたら嬉しく思います。

第17回 忘れられない患者 

前頭側頭型認知症 Oさん93歳女性。彼女は大田区内にある都営アパートの5階に一人暮らししている。家族歴も病歴もわからない。2010年、今までは、近所づきあいを極端に嫌う変人のおばあちゃんとして知られていたが、突然わけもなく隣近所に怒鳴り込むようになった。たわいもないことに腹を立て、一方的に文句をまくしたてる。筋が通らないと反論しようものなら、何倍にもお返しとばかりエスカレートしていく。「相手にするな」と、みんな寄り付かなくなっていた。ところが、アパートの下の階の下水管が詰まるようになる。原因は、5階のOさんがトイレの中にごみを投げ入れたからで、ごみが詰まって流れなくなると、今度は風呂場で排尿・排便をするようになった。そこも詰まると、5階のベランダから尿や大便を投げ捨てるようになる。アパートの住民はもちろんのこと、近所の人からも苦情が寄せられる。区役所に連絡しても、「地域包括支援センターが見に行くように」というだけで、いつまでもらちが明かない。相談を受けたケアマネも、どうしたものかと途方に暮れていた。仕方なく、2011年12月、無理やり京浜病院の外来に連れてきた。外来診療をしていると、廊下から何やら騒がしい声が聞こえてくる。「やだよー。どこも悪くないよ」診察室に入ってくるなり看護師に噛みついた。医師には唾を吐いた。診察も会話もあったものではない。間違いなく前頭側頭型認知症だろう。だましだまし採血をすると、極度の貧血と栄養失調が見られた。胸部レントゲンでは胸水貯留も認められた。ろくに何も食べていないのだろう。このままいけば行き倒れか、餓死するだろう。それとも救急車で搬送されて、その病院で大暴れするのだろうか。「とにもかくにも助けてほしい」とのケアマネの悲痛な声にほだされて、仕方なく治療を開始した。2012年1月、外来にやってくると声が穏やかになっていた。診察にも応じるようになった。長谷川式簡易知能検査は1点だった。3月には、診察室に入るなり、ぺこっとお辞儀をした。笑顔をみせ、「人間、体が丈夫なのが一番だよ。ははは」と大笑いしている。介護介入もスムースに受け入れ、栄養状態も改善した。胸水も消失した。6月には特別養護老人ホームへと入所した。他の入所者ともめることもなく、穏やかに過ごしているという。長谷川式簡易知能検査は3点であった。知能は戻らなくても、精神心理症状・行動障害さえなくなれば、まったく別人のように暮らせるようになることを教えてくれた一例であった。

第16回 次なる挑戦

レビー小体型認知症の精神心理症状・行動障害の治療法 アルツハイマー型認知症の精神心理症状・行動障害が短期間に改善できるようになると、当院にありとあらゆる種類の認知症患者が集まり始めた。典型的なレビー小体型認知症や前頭側頭型認知症はもちろんのこと、脳血管型認知症なのか、精神病との合併症なのか、それとも未知なる認知症なのか、分けのわからぬ患者がいっぱいやってきた。前述のアルツハイマー型認知症精神心理症状・行動障害に対する治療法は通用しなかった。
こうして典型的なレビー小体型認知症による精神心理症状・行動障害や、典型的な前頭側頭型認知症による精神心理症状・行動障害に対する治療法の開発に取り組み始めた。今度はアルツハイマー型認知症での取り組みの経験が生きた。まったく別の認知症ではあるが、やはりいくつかのステージがある。アルツハイマー型の場合は3期に分類できた。そこで便宜的にレビー小体型や前頭側頭型も、大きく3つのステージに分類することを試みた。結果は、同じようにステージごとに治療法を変化させていくことで解決した。こうしてレビー小体型認知症や前頭側頭型認知症の精神心理症状・行動障害にも、独自の治療法を考案することができた。
思い出深い患者を紹介しよう。Sさん77歳女性。長崎に生まれ長崎で育ったSさんは、1993年55歳頃までなんの異変も感じずに夫婦で暮らしていた。しかしこの頃から体調不良を訴える。不安と心配で心療内科に通うようになる。向精神薬・抗うつ薬等を処方されるも一向に症状は改善しない。2009年71歳の時、心配した長男夫婦は、両親を長崎から神奈川県伊勢原市に転居させ、同居し始めた。2013年75歳の頃、物忘れもひどくなり、リモコンの使い方すらわからなくなった。近医を受診し、アルツハイマー型認知症と診断され、抗認知症薬を投与された。以後、さらに症状は悪化し頭痛、腹痛、食欲低下を訴えた。2014年76歳の時、近くの大学病院を受診し精密検査を受けたが、何も異常はないといわれた。2014年10月には幻視も現れた。半年間で体重が15kg減少した。ここのままでは死んでしまうのではないか、と心配したご主人は、2015年5月20日77歳の時、Webを見て当院を知り、神奈川県伊勢原市から当院のある東京都大田区までやってきた。当院外来初診時所見は、意識は朦朧状態で呂律は回らず何を言っているのかさえ分からなかった。ひどい体重減少と脱水がみられ、生命的にも危険な状態と判断し、前医から処方されていた向精神薬・抗うつ薬を全て中止するよう指示し、点滴をして帰した。翌々日、元気にはなったが夜中に激しい腹痛を訴え救急車を要請して救急外来を受診したが何もないと帰されたという。同じ出来事が三日間続いた。さすがにこれ以上在宅療養は無理と判断したご主人は、当院への入院を希望され、5月25日京浜病院に入院した。入院時所見としては、強い不安を訴え、構音障害、顔面けいれん、身体硬直、腹痛、食欲不振、脱水、不眠、が見られ、歩行不能で車いす状態であった。レビー小体型認知症せん妄期との診断で、直ちに治療を開始した。すぐに夜間の不安はなくなり、久しぶり良眠できたと喜んだ。食欲はないが流動食なら飲めるようになった。6月2日、不安、動揺、顔面けいれん、不眠、は消えたが、食欲不振と身体硬直、寂しいと感じるのは残っていた。トイレには自力歩行で行けるようになった。6月15日、食欲も回復し、身体硬直も見られなくなり、寂しさも感じられなくなった。6月22日、自力歩行で退院していった。帰り際にご主人がぽつりと言った。「私たちはこの12年間、いったい何をやってたんでしょうね。ここに引っ越して来ればよかった。」現在は、外来に通院している。長谷川式簡易知能検査では19点と軽度認知症レベルである。「主人は口ばかりで何も手伝ってくれないのよ」と、普通の主婦から聞かれる愚痴話をして帰っていく。しかし入院したことは覚えていないという。意識障害があったのだろう。

第15回 必要は発明の母

精神心理症状・行動障害は必ず治る
---暴言暴力や介護抵抗がみられたら、もう治らないと諦めてはいませんか?--
私の病院に入院すれば、アルツハイマー型認知症に伴う精神心理症状・行動障害なら2~3日もあればほぼ100%治せる。レビー小体型認知症のせん妄だと3~4週間はかかる。前頭側頭葉型認知症は手ごわいが、性格が穏やかになるまでなら1週間くらいである。なぜそんなことができるようになったのか? どうしても治さなくてはならない必要に迫られたからである。
私はいまでこそ認知症専門にしているが、もともとは脳神経外科専門医であった。慶應義塾大学を卒業して東京大学脳神経外科学教室の門下に入り、その関連病院で修行してきた。その頃は、認知症について誰からも教わらなかった。実家の病院を継がなければならず、志半ばで京浜病院に戻ってきた。それまでは脳の手術をして退院させれば、そのあとどうなっているのか気にもしなかった。ところが京浜病院は、脳神経外科術後の患者を受け入れていた。その中に遷延性意識障害や重度の高次脳機能障害を残すものも多かった。知能低下だけでなく、精神心理症状を呈する患者もみられた。やがて運動麻痺や言語機能に障害を残さないにもかかわらず、記憶障害や見当識障害がひどく、生活に支障をきたす行動障害を示す患者が現れ始めた。退院前なのに病院を抜け出し、行方不明となり、職員全員で近所を探し回る事件も起きた。中にはタクシーに乗って都内をぐるぐる回り、おかしいと感じた運転手が患者を乗せた場所にある京浜病院まで連れてきてくれたこともある。またある患者は夜になると15分おきにナースコールを押して、トイレに行きたいと言うが、出ない。ある患者は、夜中になると部屋の中に放尿する。ある患者は夜になると別人のように変わり、テレビを窓に投げつけてガラスを割った。みんな認知症に伴う精神心理症状・行動障害によるものだった。当時は全くお手上げだった。当院のような小規模病院に精神科医師を雇う余裕はない。それでも仕方なく、慶応大学精神科の同級生に頼んで、月に2回ほど往診してもらうことにした。結果は惨憺たるものだった。2週間寝たきりで起きてこない。薬をやめると、また元に戻る。そんなこんなで、格闘し続けて10年近く過ぎた頃、ふと気づくと、自分でやった方が早い、と思うようになっていた。門前の小僧も10年の月日が経つと一人前になる。いつの間にか私にも精神科の知識が身についていた。 やがて一つのことに気づいた。当直医師・看護師・介護士それぞれの言い分が微妙に異なるのだ。ある人は患者が寝ないことを問題視し、ある人は患者が出す大声で他の患者が眠れないことを問題視した。ある人は患者が動き回ることでけがをさせ、自分の責任を取らされることを恐れ、ある人は薬の効きすぎが原因の意識レベル低下による誤嚥性肺炎を恐れた。誰も患者の気持になって患者側から症状を見ているのではなく、自分がいかに困るかを訴えていた。
そこで、視点を変え患者の立場で考えてみよう、と考えた。患者はなぜ怒るのだろう。なぜ暴れるのか。何を訴えているのか。理由があるはずだ。ここから私独自の認知症精神心理症状・行動障害の治療法である3期分類が考案された。難しい精神科用語を用いずに顔の表情分類を用いたのだ。この方法の開発によって、典型的なアルツハイマー型認知症の精神心理症状・行動障害は劇的に改善した。この方法を見てきた蒲田医師会の仲間たちもこれに倣った。日本慢性期医療協会の施設でも同じ方法がとられている。認知症中核症状は治せない。記憶障害は進む。しかし精神心理症状・行動障害さえ良くなれば、家庭や施設で仲良く暮らしていける。これで問題は解決したかに見えた。
しかしアルツハイマー型認知症は認知症全体の60%を占めるに過ぎない。残りは別のタイプの認知症であり、アルツハイマー型認知症と同じ治療法は通じない。やがて当院には、非アルツハイマー型認知症患者が続々と集まってくるようになった。

第14回 人生とは学問をすることである

人生にはテーマがある。そのテーマを解決するために我々は生まれてきた。テーマのヒントが生い立ちとして与えられる。どんな両親の元にどんな環境で生まれてきたのか。これがスタート前の条件、ロールプレイゲームで言えば、武器アイテムみたいなものである。
人生には数々の困難が待ち受けている。なぜ自分は困難に出会う必要があったのかを自問しなければならない。その答えを導き出すヒントが生い立ち・生まれ育った環境の中に潜んでいる。また自分の得意不得意も重要なキーワードになっている。知らず知らず自分がしてきた過去の行いも、重要なヒントになっている。困難に対し自分なりに答えを出して、実行する。その結果が思わしくなければ、まだ正解にたどり着いていない。もしすっと困難が消え去れば、その道は正しい。その道に向かって前進すべきである。
人生は困難に出会うためにあるのだから、困難がなくなる日は来ない。この世に全く未練がなくなり、全ての物質に執着しなくなった時、釈尊の教える心の平和が訪れる。この世で困難に出会うことなく生きる人はいない。他人の苦痛を感じることは出来ないが、誰もが皆苦しんでいる。ましてや他人をうらやましく思ったり、ねたんだり、人のせいにしたりしている限り、絶対に幸福にはなれない。
自分の人生において、『私より幸福な者はいない』という心理に気づかなければならない。

第13回 今という瞬間をいかに生きるか

未来は今の延長線上にある。今という瞬間があるから、未来がある。今あなたが何をして何を考えているかで、未来は決まる。今心配ばかりしている人には、心配な未来がやってくる。心配のない未来に来てほしいなら、今心配をやめる事が必要だ。
幸福な未来にきてほしいなら、今幸福を感じること。『今つらい事を我慢すれば、必ず報われて不安のない未来がやってくる』というのは、残念ながら当たっていない。今つらいと感じてしまうと、未来もつらいものになってしまう。今が楽しい、幸せだと思わなければ、楽しい幸せな未来は訪れない。不安は次々に新たな不安を呼び、心配は永遠に続く。心配し続ける限り、不安の連鎖から抜け出る事はできない。
心配性の人は死ぬまで心配し続ける。楽天的な人は死ぬまで楽天的である。
あなたはどちらを選びますか?

第12回 人類存亡の危機に日本はどうする?

8月末から1週間、フランスへ医療視察に出かけた。高齢化に伴う医療費増加に対し、いかに対処すべきか、の答えを求めての旅だった。医療の高度化と人類の長寿化により、先進国はいずこも同じ悩みを抱えているからだ。しかしどこの国も有効な手段は見つかっていない。フランスの苦悩も深かった。フランスでは高度急性期から亜急性期・慢性期に移行する時に、医療打ち切りを決断するタイミングが極めて早い。くも膜下出血で入院して、全ての治療の打ち切りを決断するのは、入院後わずか2週間後である。助かりそうもない、助かっても重篤な後遺症を残しそうだ、となるとそれ以上の治療を打ち切る。日本人には付いていけないほどドライだ。だから意識障害や寝たきり患者が病院にいない。みんな早々に亡くなっている。これはもう宗教観の違いか。それとも、日本もいつか同じ道をたどるのだろうか。
しかしパリの救急医療体制には感心した。パリにはSAMUと呼ばれる救急医療体制が敷かれている。ここのすごいところは、徹底的なトリアージにある。パリ大学救急医学科を中心に、救急医がコールセンターに集められている。医師のみならず、医療相談員、パリ市役所職員、法律関係者等々も一緒にコールセンターに詰めている。SAMUには年間70万件の救急要請の電話がかかってくる。電話がかかってきても、医師がいきなり電話に出ることはない。まず消防署員に当たる人が電話に応対する。そのやり取りをコールセンター内にいる医師も聞いている。緊急度や深刻度に応じて電話相談する人のレベルが上がっていく。重症とわかれば救急専門医が電話に出る。同時に、他のスタッフがパリ市及び近郊の救急病院の中から最もふさわしい病院を選択し、受け入れを要請する。外ではSAMUと呼ばれる救急車の出動要請が伝わり、直ちに発進できる体制を取っている。車の中に救急医が乗り込み、けたたましいサイレンを鳴らして出動していく。さてSAMUの年間出動件数は何件か?答えは1.8万件とのことだった。救急要請電話の約2.5%である。これなら、たらいまわしも起こらない。
理想的にも見えるが、問題は97.5%の残りの患者である。SAMU出動するまでもないが、救急車で入院が必要と思われる場合には、その程度に応じて無料から有料の救急車が出動する。運ばれる先も程度に応じて決められる。しかし大半は、電話相談だけで終わると言う。「明日、かかりつけ医を受診しなさい」「薬局に行って薬を買って飲みなさい」「家で休んでいなさい」等々。パリのかかりつけ医は、小さな事務所に聴診器と血圧計ぐらいしか持たない。レントゲンもないし、エコーもない。薬も置いていない。採血やレントゲン撮影は検査センターへ行く。薬は薬局に行ってもらう。注射は看護センターに行ってうってもらう。徹底的な分業制を敷いている。
ところで、SAMUの一室に巨大なアフリカの地図がかけられていた。西アフリカからフランスへ渡航した人のマップである。そこにはエボラ出血熱患者の発生状況を示すたくさんの赤いマークと、アフリカとフランスを結ぶ青い紐があった。フランスは西アフリカを植民地にしていたので、宗主国に当たる。多くの西アフリカ出身者がフランスに入国する。「人類存亡の危機に日本はどうする?」SAMUの救急専門医からそう尋ねられた。正直、答えに窮していると、「インフルエンザ治療薬が効くらしいが、フランスには十分な備蓄がない。フランスは無駄な薬を一切置かないようにしたから」実は、日本には何千万人分もの抗インフルエンザ薬が備蓄されている。その中の「アビガン」がエボラ出血熱に有効であることを、後になって知った。アビガンは日本の富山化学が製造し、富士フィルムが販売している純粋な日本製の薬である。「日本ではデング熱が流行っていて、代々木公園の蚊を退治しています」なんてことは、冗談にも言えない雰囲気だった。しかしこのまま医療費抑制政策を続けていけば、いつかフランスと同じ道を歩むことになる。今なら、まだ間に合う。そう思って、帰国した。帰りの飛行機の中で一眠りする。ふと目が覚めると、隣の席のアフリカ系の人がゴホゴホ咳をしている。見ると鼻血を出している。周りを見回すと、周りはみんなアフリカ系乗客で苦しそうにしている。誰かが言った。「頑張れ。日本に行けば助かる」そこで目が覚めた。正夢にならなければいいが。

第11回 人は何のために生きるのか

誰もが皆同じ目的を持って生きている。その答えは、『自分とは何か?』を知ることにある。そのためには、『魂の成長と進化』をしなければならない。魂の成長とは、意識を拡大する事である。イエス・キリストの教えとは、『隣人愛』、つまり自分と他人とを区別せず、他人を愛せよ、自分と言う壁を取り払え、と言う教えである。人間は一人では生きていけない、一人では存在しえないという真実を忘れている。自分が幸福になるには、その人を含む周りの人が幸福でなければならない。人間の健康は、地球が健康でなければありえない。あらゆるものが調和して、地球全体で豊かさと健康を実現しなければ、誰も健康にはなれない。突き詰めれば、地球が幸福でなければ人間の幸福はありえない。だからまず地球の健康あっての自分の健康であり、地球の幸福あっての自分の幸福なのである。結局、『自分さえよければいい』『自分だけが幸福であればいい』というのは、ありえない。幻である。人類を含む生命全てと、地球という環境が良好でなければ、電気もガスもないし、食べ物もないし、水も空気も汚れてしまう。そんな世界で自分だけ生き残れると考えるのは幻想だ。イエスの教える隣人愛とは、そのような意味だと思う。

第10回 徳を積む

誰かの役に立つ、他人から感謝される、『ありがとう』と言われる仕事をしたい。そんな仕事はそうは多くないが、医療介護はまさにそんな仕事である。仕事を嫌々やるのではなく、喜んでやる。楽しくやる。誇りをもってやる。それには、自分がやれば人とは違う何かを与えることができる、と言われるようになりたい。マンネリに陥らず、創意工夫を重ね、日々努力して、新しい発見をする。小さい発明をする。そんな毎日を送ることこそが、徳を積む生活なのだ。徳は将来にプラスの因果を生む。プラスの因果はプラスの結果をもたらす。

未来の自分のための貯金なのだ。

第9回 私が幸せになること

私の究極目標は、『私が幸せになること』だ。こういうとエゴイズムに聞こえるかもしれないが、あなたは自分が幸せでないのに、他人の幸せを心から願う事ができるだろうか?私には自信がない。自分が幸せでないのに、他人の幸せを望む気持ちになるのは難しい。

私が幸せと感じる為に、健康でなければならない。身体的健康ばかりでなく、精神的にも健康でなければならない。それ故に私は自分自身の健康を求める。 同時に、職員とその家族にも健康であって欲しいと願う。身体的のみならず、精神的にも健康であってほしい。そして心の底から笑える状態になってほしい。『生きていてよかった』『今ここにいてよかった』『この仕事に就けてよかった』と。

職員が幸せでなければ、患者様の幸せを実現できない。職員が健康でなければ、患者様が健康を取り戻す事はできない。だからこそ、自分の健康を求めて欲しい。そしてなによりも、自分の幸せを、家族の幸せを求めて欲しい。

第8回 心のコントロール

人間は誰でもひとりひとり立派な魂を持っている。どんな邪悪な人でも魂は清く美しい。 ただそれが発揮されないだけである。他人の心を入れ替えようと思っても、その人自身が納得しなければできない。 できる事はただ一つ。自分の心を変えることだけである。 まず自分が変わる。そして世の中を見る目を変える。世の中に対する感じ方を変える。思いを変える。このように自分の心をコントロールしてみる。

自分の心をコントロールできるのは自分自身である。自分がどう思うか、どう感じるか、誰も決めることはできない。誰もが幸せを望んでいる。それなのに幸せが感じられないのはなぜか?その理由は、不幸を作り出している原因が自分の外にあると信じているからである。原因は自分自身にあり、自分の外には何もない。だから不幸の原因探しは、自分探しに他ならない。他人に責任転嫁するのをやめ、全ての責任が自分にあると認めることこそが、不幸から抜け出す道である。人を恨む、憎しむ、妬むのをやめる。逆に人を慈しむ、同情する、愛する気持ちを持つ。怒りや憎しみの感情が浮かんだらすぐに消して、慈しみや同情の気持ちを浮かべよう。もちろんすぐにはできるはずがない。だから最初は言葉だけでも、ジェスチャーだけで良い。毎日少しずつ続ければよい。だんだんと抵抗がなくなるはずだ。 自分の心をコントロールし、自分が変われば、周りが変わり、やがて世の中全体が変わるだろう。

第7回 現実の受け止め方

現実に起こった事は変えようがない。出来るのは感じ方を変えること、自分の受け止め方を変えることだ。一つの出来事を良くするか悪くするかは、それを受け止める自分次第である。お金がない、時間がない等、言い訳は山ほどある。しかし、実は出来ない理由となる条件を自分が決めているのである。大成功した人の殆どが不利な条件から出発している。今マイナスだと思っている状況は、成功した人から見れば有利なのかもしれない。成功した人と失敗した人との違いは、諦めるか諦めないかだけである。

自分に対して暴力・非難・誹謗を浴びせられたとき、ただ傷つき悲しんだり、相手を憎んだり、または自分を卑下し自己嫌悪に陥ったりして、そこから逃げ出すことだけを考えるのではなく、前向きにその意味を考えてみる。そして、自分にそれなりの理由があると認め、その理由に自分はまだ気づいていないのだと悟る。その不快な出来事は、「自分自身への理解を深め、自分自身を学ぶ為に起こった」「その意味を本当には理解していないから、また起こったのだ」と捉える。その意味を理解してしまえば、もう二度と起こらない。だから、どんな出来事も素直に受け入れることが必要なのである。

第6回 あなたの幸せ

もしも幸せがあなたの体の中、奥深くに隠れているとしたら、あなたは気づくだろうか。

見つけようとしなければ見つからない。気づこうとしなければ気づかない。まして自分の外に幸せの原因を求めている人には、一生見つからないだろう。自分本位の考え方を捨てる時、周りの人と幸せを分かち合いたいと思う時、自分よりも愛する人の幸せを望む時、その為にはあえて自己犠牲をいとわないと覚悟した時、心の中の幸せが輝きだす。

幸せは心にある。物質ではない。だからいくら分けあっても、減ることはない。逆に益々強くなる。自分の喜びを自分だけのもにせず、多くの人にも共感してもらい、幸せを共有すること。悲しみや苦しみも同じ。代わってあげる事は出来ないが、共感してあげる事はできる。他人の不幸を喜び、他人の幸せをねたむ人は、次は我が身となる。誰もが他人の不幸を悲しみ、もう二度と同じ過ちがないように祈ることによって、不幸の芽が摘み取られる。誰もが他人の幸せを喜び、いつまでも続くように祈る事により、幸せは継続する。 そうする事できっと見えてくるだろう。自分の周りに、自分の幸せを望む人が沢山いる事に・・・。

第5回 習慣

意識的にでも無意識的でも、人には長年繰り返してきたことが習慣として身に付いている。一度習慣として身に付いたことを変えるのは大変苦痛であり、不可能に近い。そこで、「癖は直せない」「長年の習慣だから」と言い訳をし、直すのを諦める。しかし、変えることはできなくても全く新しい別の習慣を身につけることは可能である。例えば、自分が望む人間像を思い描き、そのように振る舞う。自分にとって理想の人間を演じる。そしてその行動を習慣にしてしまう。そうすれば、悪い癖が直っていなくてもそれを補いうる習慣を身につけることができる。やがて、それが自分の癖になり、本物になる。

どんなに悪い習慣を続けて酷い性格になっていたとしても、自分さえその気になれば、いつからでも新しい習慣を身につけることができる。今の自分を作り上げたのは自分自身であって、決して他人や環境のせいではない。それを自覚し、これから新しい自分を作り上げようという強い意志を持つことが大切である。新しい習慣は、子供が言葉を覚え始めた時やよちよち歩き始めた時のように、初めはぎこちなく下手である。それでも諦めずに続けていれば、いつの日か楽になった自分に気づく。そのとき、自分は解放されたと感じられるだろう。

第4回 人間のエネルギー

人間に必要なエネルギーを電力に例えると、「火力発電」「水力発電」「原子力発電」になる。「火力発電」とはカロリー、つまり栄養を取ることである。「水力発電」とは、水分を取ることである。「原子力発電」とは精神力、つまり心の問題である。人間のエネルギーとして栄養分や水分が必要なことは誰でも知っている。しかし、心が前向きか後ろ向きかによってエネルギーの方向がプラスになったりマイナスになったりすることには気がつかない。陰気になっている状態でどんなに栄養や水分を取っても、生活習慣病のもとになるだけで、かえってアレルギーを引き起こすこともある。逆に、陽気でいれば栄養が少なくても健康でいられるということもある。

人間は自分自身もエネルギーを放出している。プラスのエネルギーは人を癒す愛である。愛とは、優しさや慈しみ、美しさのことである。愛のエネルギーは分け与えることにより強くなり増殖する。マイナスのエネルギーは、人を傷つける不安である。不安は不安を呼び、恐怖となる。理性と冷静さを失い、ついには残虐行為に走らせることもある。不安のエネルギーも人から人へと伝播する。やがて大きな恐怖となり、大事故を招く。どちらのエネルギーも所詮は人間が発したものであり、人から出なければ何処にも存在しない。どうせならプラスのエネルギーを発していたい。

第3回 笑い

「笑っていいんだ。笑おうよ。」2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから2週間後、当時ニューヨーク市長だったジュリアーニ氏はテレビで市民に向かってこのように笑いかけた。日本でなら、「なんて不謹慎な」と怒られそうな言動である。日本人は深刻な状況になればなるほど「笑ってはいけない」と思う。そして、ますます気が沈んでしまう。14年前、韓国で国家破産寸前まで追い込まれていたとき、金大中大統領は国民に「まず笑おう」といって笑って見せた。韓国民はこれに呼応し、この危機は回避された。

あるデパートの食堂に大富豪の老母がやって来た。「お待ちどう様でした」と料理を運んできたウエイトレスは、その老母に「どうぞ」と言って軽く微笑んだ。あまりにも自然で優しい振る舞いに老母はすっかり惚れ込み、「この娘を息子の嫁にしたい」と思った。このウエイトレスは、後に大富豪夫人となったのである。
社会奉仕とは、見返りを期待せずに善い行ないをすることである。そして、誰もができる最大の社会奉仕は笑顔を振りまくことなのだ。笑顔を見せられて不愉快になる人はいないのだから。

第2回 心は病を克服できる

病気を治すことより病気を克服することを心掛けた方がよい。病気に心を乱され、支配されると、いつも病気の事ばかりを考えてしまう。そして、テレビや雑誌などで魅力的な改善方法を知るとすぐに飛びつき、効果が現れないからとすぐ他の方法に変更する。このように、せっかちになっている人は自分の心をコントロールできていないということだ。心の訓練は難しいが、心を鍛えることに喜びを感じるようになればよい。体の痛みは苦しいが、耐えることに誇りを持てるようになればよい。真の目的は心の健康であり、体の健康ではない。病気は健康の意義を教えてくれる。自分にとって今何が足りないのか。放漫になった己を気づかせてくれるのだ。

たとえ体は苦しんでいたとしても、心はそれを克服できる。病に倒れながらも精神はかえって強くなり、謙虚になる。家族との絆を取り戻し、寧ろ幸福な最期を迎えた人を我々は何人も目撃している。体の回復ばかりに気を取られて肝心の心や精神の健康回復を気に留めない人は、結局全てを失ってしまう。周囲に感謝して自らの分を知り、謙虚に生きれば病気は自ずと回復する。たとえ体の病気が完全には治らなくても、心は幸せな人生を全うすることができるのである。

第1回 病気になるわけ

あらゆる病気や症状は、人生についての考え方が間違っているというサインであり、それを考えさせようとしている。熱を出したり、だるくなったり、元気が無くなったりして、改めなければもっと苦しむぞと教えているのだ。

本来、人間の体には「内なる医者」がいて、自己免疫を使って病気を治すことができる。皮の靴は、傷が付けばどんなに上手く修繕しても元通りにはならない。しかし、人間の皮膚は縫ったり消毒をしたりすれば元通りに治る。癌細胞は人間の身体の中から生まれ、その発生理由・成長因子も身体の中にある。つまり、それを治療する力も身体の中にあるということだ。しかし、人によっては癌の成長を抑えられず、癌とともに死んでしまう。癌細胞ほど自己の生存にこだわり続ける存在はない。「自分だけが生きれればいい」と癌細胞は考えるのだろうが、結局は人間が死ねば自分も死ぬのだ。一方、正常細胞は自らの寿命を知り、老化して死んでいく。不老不死を望み、周囲との調和を考えずに自分だけが良ければいいと考える癌細胞は、まさに人間らしい存在だといえるであろう。「内なる医者」は癌細胞にエゴを捨てるよう諭す。一つの細胞の寿命より大切なものがあり、結局はもっと長い寿命が得られるのだと。

人は何のために生きているのか?何のために働いているのか?いつの間にか目的のための目的になり、手段のための手段になってしまう。「家族のため」と言いながら、家族との会話や団欒を犠牲にして夜遅くまで飲み会に明け暮れたり、せっかくの休みでも一緒に過ごさなかったりしていないだろうか。病気になることで、自分の生き方について考える時間が与えられるのだ。

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